1
世の中には不思議なこともあると、思う。
でも、今は少しだけ措いとく。
「それじゃ、めろ、私はまんだらけの方に行ってくるから」
って、階段の手前で今日(きょう)ちゃんが言ったから。
うん、また後でね。
ふんふん。
「手を振るだけじゃなくて、喋って反応しなさいよお」
苦手なんだもの。
「眉をひそめて意思を伝えるなぁ!」
ぐぃ、と身長140センチの高さから、今日ちゃんが精一杯に手を伸ばしてくる。仕方ないので、私は少しだけ屈んで、今日ちゃんがでこぴんをし易いように、おでこを差し出す。
「てい」
「いたい」
痛くない。
「もう。じゃ、買い物終わったら連絡するね。めろも勝手にどっか行っちゃダメだよ」
大丈夫、大丈夫。私、勝手にどっか行かないよ。方向音痴だし。
「それにしても、いつも思うけどブロードウェイの四階なんて、何があるのよ」
「あるよ、古い本とか」
アニメグッズとか。
「宇宙人とか」
「宇宙人とか?!」
あ、あれ飾ってるだけかな。
でも置いてあるんだよ、宇宙人。
「あいっかわらず訳が解らないよ、中野ブロードウェイの四階は……」
それだけ言い残して、今日ちゃんは栗色のセミロングを左右に揺らしながら、つかつかと歩き出した。男の人同士がくんずほぐれつしてるヤツを探しに行くらしい。
いってらっしゃい。
ちょっとだけ回想。
一年前の私。
高校に入った頃の私。
友達作りが苦手だった私は、いつもみたいに教室で一人――あ、こういうのをぼっちって言うんですよね――推理小説を――あ、ちなみにこの時は創元のホームズでした――を読んでいて、
「ロバート・ダウニー・ジュニアってかっこいいよね!」
なんて声をかけてくれたのが今日ちゃんでした。
残念ながら私は、今日ちゃんの探していた「イケメン探偵ハァハァ」なる人種ではなかったらしく、その時は、さぞかし落胆されてしまった。
けど、なんだかんだで友人関係に収まった訳で、今となっては多趣味な今日ちゃんに市中引き回され、学校帰りの時なんかは、こうして遊んだりする。
回想終了。
それで二人して良く来る、ここは中野ブロードウェイ。
本や漫画、アイドルグッズや模型、玩具、ゲーム、CD、時計やAV機器なんて、私程度では解らない趣味の世界―あ、でも推理小説と女性アイドルは私もちょっと詳しいです―の奥深いモノを売ってるお店が大量に入った複合施設、なのはいいけれど、どこに何があるのか未だに良く解らない。
昇る階段を間違えると、どこか解らない所に出たりして、右とか左とか、ぐるぐる回って自分がどこに居るのかも解らなくなる。
だから。変なお店にも出会う。
たとえば。
「せんたぬどう?」
あ、思わず呟いちゃった。恥ずかしい。
でも、不思議なものだったから。
この、たぬき。
信楽焼? だっけ、あの変なの。お酒を持ったタヌキの置き物。ぼや、っと、あらぬ方向を見ている。
かわいい。
あ、で、そんなタヌキが置かれてるお店が、今私の目の前にある。古そうな引き戸、火の灯ってない提灯が揺れてて、その下には食器とか木を彫った物とかが並んでる。
雑貨屋さんかな?
でも、看板には「仙狸堂」ってあるから、骨董屋さんとか、古道具屋さんとか、そういうものかもしれない。
普段だったら、きっと見過ごしていたんだろうな。
でも、今の私には、ちょっと気になる理由があるから――
「お邪魔します……」
がら、と軋む戸を開いて、おずおずと店内へ入ってみる。
わあ、すごいな。
右に左に色んなモノが並んでる。
高そうだったり百円ショップに並んでそうだったりする、絵付けのお皿や、ガラス、それから壺に掛け軸、民芸品みたいなのが置いてあって、がらくたみたいのもある。
「面白いな」
あ、また思わず呟いちゃった。
ふらふら、とそんな広くないはずなのに、なんだかどこまでも奥に続いてそうな店内を歩く。
すると。
「珍しいな、お姉さんみたいな人が来るなんて」
って、口調とはそぐわない、まるで眠たい子犬みたいな声が聞こえてきて、あれれ、誰かいるのかな。
「何か探し物?」
「うわ」
いよいよ声の主――なんだかバニラみたいな甘い香りのする、ドレスシャツの小さな男の子だった――が、目の前のアンティークチェアに座っているのだと気付くが、まだ意識が追いつかない、気がする。
「酷いなぁ、引く程じゃないよね」
「人形が喋った」
「失礼な」
だって、そう思ったから。なんだっけ、西洋磁器人形(ビスクドール)みたいだな、って。色素が薄くてふわふわな猫っ毛の髪で、つやつやで真っ白な肌で、大きなくりくりの目のまつ毛が長くて、そんな綺麗な人形が、椅子に座って飾られているんだと。
うん、きっと高価な人形さんなのだ。ううん、人間だって解るよ、小さな男の子だって解るよ。でも。
「高そう……」
「何を考えたのさ」
お人形さんが目を伏せて、私の方を訝しげに見てくる。あわわ。あ、でもそんな態度をしてくれたお蔭で、やっと認識の方が追いついてきた気がする。
「店番の子?」
「違うよ」
「……」
違うのか。
でも、こんなお店に、こんな小さな男の子が、店番でもないのに居るなんて、現代日本はどうかしてるのだ。それともなんだろう、そんなどうかしてる日本のことだ。人形みたいな男の子なだけに、売り物だとでもいうのだろうか。あ、そうか、これが人身売買というやつだ。
「警察呼ばなきゃ……」
「営業妨害はやめてくれないかなぁ」
なんとも面倒そうに、男の子は立ち上がって私の前に立つ。腰くらいの高さに頭が来て、あ、撫でたいなぁ、怒るかなぁ。なんか怒ってるみたいだしなぁ。
「はぁ、まぁ解ってるよ、こういう時の為に兄さんを店番に置いてるんだから。でもね、本当は僕が、この仙狸堂(せんりどう)を切り盛りしてるんだよ」
「切り盛り?」
「そうだよ、ふふ、いつも信じて貰えないけどね」
なんだか、長雨にうんざりした時みたいな、憂鬱な表情を向けてくれた。
「えっと、君……」
「千里耀。黒耀石の耀でアカルね、難しい字の方」
「あ、アカル、くん。えっと、アカルくん、今いくつ?」
「今年で十二、かな」
すごい、十二歳でお店を切り盛りしているのだ。なんだか大人びた雰囲気だけど、それもきっと、このお店を手伝ってたりするからなのかな。
「あ、私、葦家瑪瑯、です。高校二年生です」
それで、と言葉を継いだアカルくんは、さっきよりは年相応な人間味に溢れた、つまりかわいい男の子然として、私の横をすり抜け、手近な売り物の和雑貨を並べ直し始めていた。
「それで、えっと、お姉さんみたいな若い女の子が、うちみたいな店に来るのって珍しいね」
って小学生くらいの子に言われたから。
「あはは、若いだって――」
「話を進めようよ」
と、まぁ、そんなことを言われた訳で。
私は、普段は行かないだろう、こういう骨董屋さんに入った理由を、鞄の中から取り出した――。
2
「銀の、スプーン?」
今日ちゃんが面白そうに覗き込んでくる。頷いておく。
「それが、めろちゃん家の宝物?」
って言ったのは、友達の蛍(けい)ちゃん。こっちにも頷いておく。
「へぇ、純銀製なんだ。すごくない?」
これは一緒の班になってから喋るようになった、えっと、山崎さん。頷いておく。
「へぇ、なんか高そうな装飾がされてるんだね」
今日ちゃんの言う通り、私が取り出したスプーンは、すくう所がホタテ貝の貝殻みたいな造形になっている。
そんな私の銀のスプーンを皆であれやこれやと眺めて、綺麗だね、とか、私も欲しいなぁ、とか適当な品評をする。それが終われば、後はもう、山崎さんが次に出した古いカモノハシのぬいぐるみ―オーストラリアで買ったんだって―に興味が移っていた。
「それじゃ、これで〝みんなの家の宝物〟も集まったかな」
班長に選ばれた今日ちゃんが、とりあえずみんなの意見を取りまとめておく。
こうして私達は、情報の授業で発表する内容を決めた訳で、後はパワーポイントを使って、各々の家にある一番の宝物を、それにまつわるエピソードと一緒に紹介したりする。
でも、これが順調には行かなかった訳で。
「この銀のスプーンは、私のお母さんから貰ったもので、我が家の一番の宝物です」
って、いざ発表の時に、原稿通りに読んでいたのだけど。
「あ、それなら俺ん家にもあるわ!」
なんて、突然、話したことも無かった男子が発表中に声を上げたから、次に何を言えばいいか、すっかり解らなくなっておろおろ。
そんな様子がウケたのか、発表自体は笑いに包まれて滞りなく終了。うちの班は中々評判が良かったです。
でも。
「ね、めろうちゃん、あのスプーン、私にも見せて」
ってやってきたのは、同じクラスの美沙ちゃんで、今日ちゃんとは仲良いけど、私とはそんなにな人で、どうして私なんだろうな、って思いながら銀のスプーンを差し出すと、
「やっぱり、これね、ウチにもあるよ」
なんて言った時には、さすがに驚いた。
「私の家にあるのもね、これとおんなじで貝殻みたいな形になったスプーンなんだよ」
そう言って、頭の上にスプーンをかざして、
「なんだろ、昔に流行ったのかな?」
って美沙ちゃんは言うけど、私はなんだか、自分の家の一番の宝物が、どこにでも転がってるモノなんじゃないかって思えて、ちょっとだけ寂しくなってしまう。
でも、それが。
「ああいう内容で銀のスプーンを紹介したのは、葦家で四人目くらいかな」
授業終わりの時、情報の先生が私達の席に来てくれて、そんなことを言った。その言葉に、私と今日ちゃん、それから美沙ちゃんも驚いた。
「最初はそれこそ、六年くらい前に授業でパワーポイントを使い始めた頃か、一人の生徒が同じように家にある古いモノ、っていう題材で取り上げたんだ」
曰く、それ以来、同様の授業をやる度、数年おきに家の大切なモノとして銀のスプーン、あるいはフォークやナイフを挙げてくる生徒が居たという。
先生自身も把握してないらしいが、発表者以外にも持っているという生徒がその都度出るらしく、この小さな公立高校だけで十数人は、同じ類の銀のスプーンが家にあるのだという。
「これは事件ね、事件よ、事件ってことにしよう!」
なんて叫んだ今日ちゃん。
ぴょんぴょんと、リボンのカチューシャをはためかせ―ちょっとでも背を高く見せようとしているんですよ―両腕を組んで仁王立ち。
「一見なんの関係も無いウチの高校の生徒達が、時を問わず、場所を問わず、なぜか一様にして話題に出す銀のスプーン。果たして、ここに意味はあるのかないのか!」
この時、今日ちゃんは自分の読んでた漫画か何かから「銀の匙事件」なんて名前までつけちゃって――あ、ちなみに私が提案した銀匙号事件は却下されました。しゅん――大々的にクラスの内外に吹聴しまくってた。
「私が颯爽と、この謎を解決してあげよう!」って。
で、そうすると。
「私の家にもあったかもしれない」
「兄貴がそんなの持ってた気がする」
「先輩に持ってる人がいたよ」
なんて、続々と情報が寄せられきてしまって、
「もう駄目、訳わかんない……」
テーブルに突っ伏して頭を抱える今日ちゃん。
「よしよし」
「頭撫でるなぁ、縮むだろうがぁ」
って、放課後にサイゼに寄って労ってあげたり。
「……私、ミラノ風ドリア」
突っ伏しながらも注文をする今日ちゃん。あ、私はふぉかっちゃ食べたいな。
「この子にはシナモンフォッカチオとホウレン草のソテー、でいいよね?」
それそれ。
「いつも思うけど、なんで私がめろの注文取ってるのよぉ」
なんて言いながら、ふくれっ面。
結局、今日ちゃんの人望――ちみっこジャーナリストって呼ばれてた――で寄せ集めた情報によると、在校生や卒業生あわせて、家に銀のスプーン、あるいはフォークやナイフがある生徒というのが十八人。
見せて貰える限り、写真かなんかで確認を取ってみると、私の持っている物と同じだったのが四人で、私のとは違うけど、同じ形のを持っている人が二人いた。
うちの高校は七百人くらいだから、割合で言うと決して多くはないけど、それでもこれだけの数があるのは凄いし、それ以上に不思議だ。
「いったい全体、あの銀のスプーンはなんなのよぉ」
今日ちゃんは、それこそ一生懸命に考えてたんだろう。本当は私が労ってあげるつもりで誘ったのに、色んな可能性を私に話してくれたから。
たとえば。
「うちの学校で広まってるってことは、そう、なんか成績優秀者に送られるやつとか……」
「ウチに昔からあるやつだよ」
たとえば。
「じゃ、じゃああれだ、めろが子供の頃に流行ったんだ!」
「六年くらい前の先輩の家にもあったよ」
たとえば。
「い、今までの先輩達の家とめろとかの家の人が、昔から友達だったの!」
「知らない人達ばっかりだよ」
たとえば。
「解ったよぉ! あの銀のスプーンの持ち主は選ばれし者なの! 地球の危機が来たら集結して戦うんだよ!」
「あ、それは面白そうだな」
「なんだよぉ!」
ぎゅー。
今日ちゃんがテーブル越しに手を伸ばしてきて、私の頬を両側に引っ張る。
「真面目に考えろよぉ!」
ちょっと涙目。それはこっちの台詞だよとか、そういうのは言わない。
「でも不思議だね」
「まぁね。銀のスプーンくらい、ちょっと小洒落た家なら、一本や二本はあると思うけど、話に出てくる人達が言ってるのって、どれも家に古くからある、とか、特別なモノって感じだしね」
事件―に勝手にされて―以来、私はいつも鞄に銀のスプーンを入れている。元々気に入っていたのもそうだけど、今ではなんだか、その後ろに大きな謎があるようでワクワクするモノになっている。
そんな風に思いつつ、私がメロンソーダをすすっていると、今日ちゃんがスマホでメールをしていた。
「んー、めろ、美沙ちがなんか話あるって、少ししたらこっち来ると思う」
「ん」
って答えた私は、この一件以来、美沙ちゃんとちょっとだけ仲良くなれたのが嬉しくて。だから、それがもっと不思議な話になるなんて、全然思ってなくて。
「聞いて聞いて二人とも」
席につくなり、私の頼んだふぉかっちゃを取って食べ始めた美沙ちゃんが声を上げる。
「あのね、あの銀のスプーンの話、別の高校の友達に話したんだけどね―」
重大そうな調子で、美沙ちゃんは口を開く。
「なんか、その高校でも、銀のスプーンだかを持っている人が何人かいるんだってさ」
ぽかん、と何を言えばいいか解らない今日ちゃんと私に対して、美沙ちゃんは自分の携帯で写メを見せてくれた。
「その友達が送ってくれたんだけど」
そこには、私の持っているスプーンと同じ形のスプーンが写っていました。
だから。