直撃! 柴田勝家先生

 

【はじめに】

 

 柴田勝家先生とは、成城大学文芸部出身の現役SF作家様。成城大学大学院文学研究科日本常民文化専攻博士課程前期修了。デビュー作『ニルヤの島』(早川書房)をはじめ、『クロニスタ 戦争人類学者』(早川書房)、『心霊科学捜査官』シリーズ(講談社)、『ワールドインシュランス』シリーズ(星海社)、『ヒト夜の永い夢』(早川書房)が絶賛刊行中。

 


 

 

 

・作品をつくる時に心がけていることは?

 

 自分が描いたから自分だけのものとは思わないようにしている。読者が感じた物語が正解で、読者によって作品が完成する、と思っている。

 

 

・作家を目指したきっかけは?

 

 元々、中学生の頃からなりたいと思っていた。京極夏彦さんの本が好きで、そこからミステリーの分厚い本を書きたい、と漠然と思っていたけれど、大学にいる時の最後の最後まで本当になれるとは思っていなかった。文芸部に入って良かった!

 

 

・自分の中で大切にしていることは?

 

 自分自身、人を信じないか、信じても良い結果にならないことが多くて、小説を書きながら人類そのものの良さを見つけたいと思っている。

 

 

・なぜ柴田勝家というペンネーム?

 

 大学に入学して早々に行われるレクリエーションキャンプで、同室の人間とUNOをしていた。当時UNOのルールを知らず、他のメンバーがスキップなど自分の知らない技を多用し不利に追いこまれ、「こんなの賤ヶ岳だよ!」(賤ヶ岳の戦いとは:1583年で現滋賀県長浜市の賤ヶ岳付近で起こった、羽柴秀吉と柴田勝家による戦い。戦いの最後に柴田勝家は自害し、羽柴秀吉の勝利に終わる)と言ったことから、周囲の人間に柴田勝家と呼ばれるようになった。教授に大勢の前でもそう呼ばれ更に広まってしまった。

 

 

・趣味は?

 

 インドアでできるものはだいたい。メイド喫茶、ソシャゲ、ゲーム、映画、音楽、電子感覚器、ジグソーパズル、ボードゲーム、TRPG、食べ歩き、飲み歩き、等々……。

 

 

・好きな食べ物は?

 

 肉! 鳥! 牛も!

 

 

・学生時代印象に残っている出来事は?

 

 フィールドワークに地方へ行ったこと。秩父が印象深い。村のご老人たちを集めて、どこへ行くでもなく、二泊三日、ずっと話を聞いた。終わった後、秩父の山奥へ行って、帰ってから教授に「あそこ熊出るんだ~」と言われた。先に言ってほしかった。文芸部の合宿には毎年行っていたけれど、当時文化史の男子は少なかったので皆友達。

 

 

・大学生の時していたことは?

 

 一年生の頃、熱量がある同期がいて、三人で作家の新人賞を目指す研究会を発足した。品評会でも、賞に出したらどうなるかということを念頭に置いて評価し合った。しかし二年生以降は大学が忙しく、作家になることを意識してはいなかった。賞に出したのも、大学院に進んで忙しくなくなったため。

 

 

・これからしたいことは?

 

 舞台が好きなので、脚本とか舞台にまつわる何かをしたい。朗読劇、ウェブ連載とかも気になっている。

 

 

・人生において先生を変えた本は?

 

 SFを書くきっかけとなったのは伊藤計劃さんの『虐殺器官』。2011年の3月、東日本大震災が起きる前に身内で流行っており、春休みに入ったと同時に購入した。そして地震が起き、大学も休みが一ヶ月長引き、そこで本を読むことを大切にする時間があった。そうして次の春号、記念号である50号に、『虐殺器官』を読んだ経験を踏まえ書いたのが『ニルヤの島』。文芸部の部誌に出したことから、後々の新人賞に繋がった。

 

 

・一日のスケジュールは?

 

 昼の12時に起きて、朝の5時に寝る。起きてからは人間らしい生活をし、打ち合わせなどがあれば出かける。夕方にはメイド喫茶「もののぷ」へ行くのだが、音があるほうが書けるので最近そこでも仕事をするようになった。「もののぷ」は夜の11時に閉まってしまうため、それから帰って、ご飯食べて、寝るまで仕事をする。仕事が特に何もないときは一日中家でソシャゲをする。

 

 

・メイド喫茶にはいつから?

 

 大学34年に行き始めたが、既にライフワーク。

 

 

・作品について、影響を受けている作家は?

 

 京極夏彦さんと伊藤計劃さん。海外だと、グレッグ・イーガン。

 

 

・文芸部員や作家を目指す人に一言。

 

 今の世の中、ありとあらゆるところに物語がある。自分が物語を書くことに意識を向けていてほしい。物語を書くことはすごい能力で、大事な能力。少しでも書けるなら誇って良い。書きたい人はもっともっと書いてほしい。いろいろな物語を書いていってほしい。