ダゴン鍋というものがある。
昨年末、12月25日のこと、文芸部に集う非リア充面々が集まり鍋パーティを催した。その際、チーズカレー鍋の素にあらゆる肉、臓物(砂肝・もつ)、芋、そして魚の頭をぶち込んだ涜神的鍋料理。黄色くどろどろした汁、生臭い香り、煮えない芋、こちらを見つめてくる死んだ魚の目。それがダゴン鍋。文芸部の名物が誕生した瞬間であった。
それはさておき、ところでこのダゴンとは何者か。本来は古代ペリシテ人が信仰する魚を象徴とした海洋神、あるいは農耕神であったが、ユダヤ教が広まった頃、御多分に漏れず悪魔扱いされ、歴史の闇に沈没していった。しかし、怪奇小説家H・P・ラブクラフトがこいつを20世紀に復活させた。
それが、クトゥルフ神話の邪神ダゴンその人である。
クトゥルフ神話に馴染みの無い人の為に、それが何かということを少しだけ解説すると、これはラブクラフトと彼の親しい作家の間で作られた、架空でありながら創造性豊かな神話群のことである。特徴は既存の神話とは一線を画し、登場する神々は人間にとって無慈悲であり、それに関わった者達は例外なく発狂するとか、死を遂げるとか、さらに酷いことになるとか。 怪奇小説として発展し、メインストリームに出ることはなかったものの、クトゥルフ神話が形作る、その宇宙的恐怖は文学界で秘かに連綿と受け継がれてきた。のだけれども、どうにも日本ではけったいな需要のされ方をされてしまい、エロゲやラノベの題材に使われてしまったりと、ごくごく一部で異様な人気なのである。
と、ここまでがクトゥルフ神話の説明。
この小説に登場するダゴンも、その中に登場する邪神のことであり、本作もクトゥルフ神話の一篇と扱われる。大まかなストーリーとしては、以下のようなものである。
主人公である敬虔な牧師ピーターは、遺産として広大な農園と館を継ぐが、 妻シーラとの生活の中で、漠然とした不安に苛まれるようになる。 そんな中ピーターは、農園の管理人一家の不気味な娘ミナと出会い、それ以降不安と恐怖は増大する。 後半では茫然自失に陥ったピーターが、精神的にも肉体的にも追い詰められていく様が描かれる。
話の筋としては、特筆するようなアクションや起伏がある訳ではない。しかし、この作品にはそれを補って余りある、文章表現の妙が働いている。一読すると退屈な純文学のように感じられる本作の書き口は、後半になる程に効果的に働き、主人公が精神的に衰弱し、自己を保てなくなっていく様が真に迫ってくる。これはダゴンという邪神を通してではなく、自我の喪失と人間の醜悪な暴力という物で恐怖を描く小説なのだ。
作者のフレッド・チャペルは、日本では馴染みの無い作家だが、解説によると彼は高い評価を受けた詩人であり、だからこそその抒情性に溢れた文章も納得できる。全体を通して詩的な表現が折り重なり、恐怖小説である以上に鮮やかな印象世界が映し出されている。そのラストにおいても、深く感情を揺さぶられ、余韻に浸りたくなるような作りとなっていた。
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